忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2025/01/31 22:43 |
くろねこのくろさきさん
スペース省略のため、隠してます。
 新しい部屋の前には、ベランダくらいの高さのミカンの木がある。見方によってこちらに向かって手を伸ばして迫っているようにも感じられるから不思議だ。大家のおばさんは、「実がなったら勝手に持ってっちゃっていいからね」と言ってくれたが、残念ながら夏みかんは渋くて苦手なのだ。
 大学生になって二年目の春、僕は大学まで徒歩五分のエレベーターつきアパートを去り、自転車で二十分かかる、木造アパートの2階に引っ越した。理由は妹の専門学校進学。すでに地元でチェーン展開している和菓子屋に就職が内定していた昨年暮れ、突然両親に「看護師になりたい」と言い出したらしい。聞けば、たまたま参加したボランティア活動で体の不自由な人を支える仕事に強い熱情を感じたとの事。高卒で働くのが嫌で大学進学した僕に比べたら、なんとも心強い妹を持ったもんだ。両親も妹の説得と意志の強さに進学を認め、更には学校、内定先にも謝罪し、両者から激励されたときたから驚きだ。その後、計画に無かった妹の学費は僕のほうに皺寄せが来た。仕送りカットはもちろんのこと、もっと家賃の安いところへの引越しを強要されたのだ。
 そのこと自体に恨みは微塵も無い。前のアパートは地理的には文句なしだったが、壁が薄く、ほぼ週に一度のペースで繰り返される隣人の大騒ぎにうなされていた。物騒さがブームの世の中でライオンみたいな頭をした人間に絡むのは御免被る。それで我慢していたが、そろそろマジで限界だった頃に転居の話が出た。
 ちなみに今度の全八室あるアパートは、僕以外の入居者は二名、しかもひとりは下の階、もうひとりは反対側の端部屋ということで、安寧な生活は約束されたも同然。元来地理条件よりも静かな夜を求めていた僕にはまさに「願ったり叶ったり」だったという訳だ。多少大学からは遠のいたものの、少し行けばコンビニもあるし、それなりに大きな通りもある。騒音は我慢できなくとも、距離感は慣れるものなのだ。
 前回の部屋では対話不能だったためにどうしようもなくなっていたが、今回僕は学習した。粗品を持って他の入居者への挨拶回りを企てたのだ。不躾な人間なんていくらでもいるだろうが、挨拶されて嫌な気分になる人間はそういない筈。こちらから歩み寄っておき、後々優位に働くようにするのだ。同時に相手の様子も探れる。余程僕は前のアパートのことがトラウマになっているらしい。
 業者の人と大体の荷物を運び込み、隣接している大家さんの所に出向いた後、同じアパートの人の部屋を回る。が、日曜の昼間に出向いたのに、どちらの部屋も留守だった。一本千円のバームクーヘンが二本。賞味期限は二日後。仕方なくドアノブにぶら提げてメッセージメモを入れておいた。春先でまだ寒いし、おそらく腐りはしないだろう。
 おおまかに部屋の片付けを済ませ、ベランダで一服入れることにした。一服といってもタバコは吸わないので、買っておいた缶コーヒーを飲むだけ。所々錆びている手すりに腕をついて、辺りを見回す。直ぐ下には舗装こそされているもののボコボコの細い市道。それを挟んで小さい川が流れている。瀬にはシラサギがぼんやりと立っている。下見に来たときには何か小魚がいたけど、ここからでは見えない。
 そもそも大学自体が市街地から若干遠いこともあり、この辺りにはまだまだ自然が残っていた。川べりにはタンポポやアブラナ科の植物がつぼみを作り、スズメやセキレイが地面を跳びまわっている。市道を宅配便の軽自動車がゆっくりと走る。大家さんのみかんの木もそうだが、本当に飾らない「田舎」がここにはある。僕の生まれた町もそこそこ田舎だと思っていたが、こっちのほうが余程時間がゆっくりと流れていた。
片付けの仕上げに入ろうと残りのコーヒーを飲み干して息をついた時、小川の土手に黒い猫が佇んでいるのに気づいた。というか、僕を見ている。真っ黒の毛並。しゅっとした体つき。時折なめらかに尾を振りながらも、視点だけは僕の眼をじっと捉えて放れない。普通なら何気なくスルー出来るのだろうけど、何故だろう。僕も視線を外せない。
黄色い双眸は、僕を計っている。そんな気がする。
 やがて猫の方から視線を逸らした、と思いきや、ゆっくりとこのアパートの方に歩いてきた。そして雨どいの下――僕の部屋の下にまで来て。
「え」
 一瞬黒猫はにやりと笑った気がした。次の瞬間小さく屈み、アスファルトを蹴って、雨どいを伝って僕のベランダまで駆け上がってきた。
「??!」
 僕はびっくりしてたじろいだ。洗濯機に背がぶつかる。その軽やかな動きにも驚いたが、そもそもなんでこの猫は僕の部屋のベランダに上がり込んできたのか。あまりに突然で追い払おうとさえ出来なかった。黒猫はというと、ベランダの桟(さん)にすっくと立ち、さっきまでと同じようにゆっくりと尾を揺らしながら僕を見つめてくる。
 そして、口を開いた。

「お前の名は何だ」

 僕は周囲を見回した。人間がいるから、日本語が聞こえてきたはずなのだ。実は隣は空き部屋じゃないとか、さっき通った宅配便の業者がこの辺の人の住所を聞いて回っているとか、受け入れられる可能性を探っていた。しかし。
「聞こえてるだろう。お前は何という名だ」
 そもそもお前がなんなんだ、というツッコミは、この段階の僕の思考回路では思いつかなかった。びっくりしすぎて、声も出なかったのだ。
「・・・チッ、阿呆面しやがって。折角現代っ子の目の前に現れたファンタジーだろうが」
 黒猫は面倒臭そうに悪言を吐き、こちらに歩み寄ってきた。ファンタジーの始まりは確かに唐突だが、この現状に夢も希望も無い。僕の頭はまだ真っ白のまま。
「まぁ、きちんと言語は理解できているようだからいい。この部屋に居候させろ」
 そう言って、身動きできない僕の前を通り過ぎ、部屋の中に入る猫。
「ま…待てよ!何なんだお前!?」
漸く口が利けるようになった僕が後を追うと、黒猫は畳んだままの布団の上で丸くなっていた。
「先に質問をしたのは俺だ。順番は守れと幼稚園で教わっただろう」
 この余裕と発言にいちいち障りがある。僕は人当たりがいいということで周囲に通っているようだが、高慢な態度の人間には冷たいということも自他共に認めている。しかし、何故か追い出す気にもならず、一応答えてやることにした。既にこの「答えてやる」というところにその一遍が窺えると思うが如何。
「僕は高島裕。今日ここに越してきた大学生だ。で?お前は何だ」
「『タカシマ ユウ』。ユウだな」
 猫は納得したのか、耳の後ろを掻きはじめた。ものすごくくつろいでいるが、そこは布団の上、というか僕の部屋の中なのだが。
「俺は黒崎だ。今日から宜しく」
 宜しく、って、耳を掻きながら言う言葉じゃないと思うが。そもそもさっきこの猫は居候がどうとか言っていた。ここはペット禁だったはず。「しゃべる猫が勝手に上がりこんで住み着きました」といって大家さんは許してくれるのだろうか。
 ・・・って、何を僕は飼う前提で考えているんだ。

 自分のことを黒崎といった、今布団の上で伸びている黒い猫。取り敢えず、これから質問責めにしよう。空になったコーヒーの缶をダンボールの上に置き、猫の前に胡坐をかいた。まずは、真っ先に思いついた質問を。
「おまえは何でしゃべれるんだ?」
 一番気になる点だった。これさえ解れば、きっと他の事も芋蔓式に聞き出せるだろう。
 すると黒猫は僕に向き直り、じっと僕の眼を見据えて言った。
「別に俺は喋っているわけじゃない。お前が理解できているだけだ」
 先程ベランダで目が合ったときの視線、僕を探るような、そして理解したような眼を細め、こう続けた。


「動物を殺したことのある人間にしか、俺の言葉は聞こえない」


PR

2008/07/22 04:00 | Comments(0) | TrackBack() | 文章

トラックバック

トラックバックURL:

コメント

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<おもろいから。 | HOME | あつやあつや。>>
忍者ブログ[PR]