土曜日に「詩のボクシング」に出てきました。
結果から言いますと、初戦敗退です(判定6-1)。
私が思う敗因:歌ったこと
歌ったんですよ…観客の前でいきなり。24時間以上経った今の方が若干恥ずかしい不思議。
新しくできた詩のワンフレーズに何となくメロディーが付いてしまい、それをケータイでメロディにして、出来た以上は聞いてほしい、というわけで、歌っちゃいました。
朝起きたときに一番聞いてほしいと思ったものを読み、「勝つ時も負ける時もコレで」と思っていたので、歌声を曝したことに後悔は無いです。
ただ、悔しいな~。
歌ってなかったら、もう少し票の入り方も変わってたんじゃないかと思えます。ま、もし歌ってなくても「歌っとけばよかった」みたいな後悔は出てきそうなんで、よく分かりません。
会場には友達も来てて、歌の感想とかも聞きました。その際、横に居た知らないおじいちゃんからも「歌が聞きづらい」と諌められました(笑)。
ただ、「他の詩も聞きたいと思ったので、敗者復活に票を入れたからね~」と見知らぬおばあさんに言ってもらったことは、本当に嬉しかったです。結果敗者復活戦にも進めませんでしたが、「聞いてもらえたんだ」という実感が得られたことが喜びです。
もう一つ意外だったのは、私の詩を「きれい」と評価して下さる方がいらっしゃった事。自分では心の中の汚さ(特に嫉妬心)を書き出したつもりだったのに、そういう風に取られず、寧ろ逆の評価を戴いたことが驚きです。思ったとおりの評価(批評)が得られないといい気になれない性質ですが、今回のは嬉しかったですね。出してみないと分からんもんだ。
参加者の一部が「懇親会」と称して飲みに行くのが定番(ただ帰りが自転車なので私はお茶ばっかり飲んでる)。その二次会では詩が読めるバーに流れ込み、「供養」と称して読めなかった詩を披露することに。エキシビジョン感覚で何の衒いも無く感情込めてみたら「…なんでそっち読まなかったの?」と言われた。今更…。
全国大会経験者(だったか…あまり話してない)もその場に居たので、詩を披露してもらいました。
…普通に圧巻された。何でそんな事思いつくんだこの人達。
談笑の場面で、自分の話ばかりを聞いてもらおうとする病気発症。
自分の書いてる詩は「みてもらう」(読み物)として書いているので、口頭で、自分の見てくれとか声を含めて披露される場では発揮されないと思い込んでました。だから、逆に「もっと色々できるかも」と思える機会を得られた事は大きな収穫です。
全国大会に出られた人も、高知大会で勝ち進んだ方も、それぞれスタイルを持っていて、いずれも魅力的でした。でも、それが自分にも出来る事だとは限らない。今回歌ってしまってみて、特に感じました。予選の『下りてこない』を聞いてくれた方も、「○○(本名)さんらしい作品だった」と言って下さった様に、何らかの印象付けが既に出来ているようですし。
どっかのニュースで『現代の若者は、目立ちたがるが批難される事は嫌がる』と言ってました。仰る通りで、知って欲しいけど、離れられたくないんです。6-1で負けた時もすげーショックだったし(笑)。
だけど、「聞いて貰いたい」ことがある以上、そしてそちらが強い以上は、何か続けられそうです。
次参加できるかは分かりません。接客業は土日も仕事です。でも、「負けて悔しかった事」と「だから二度と出るもんか!と思えなかった事」もあり、どこかでひょっこり関わりたいな~と考えています。来てくれた友人達も、「おもしろかった」と言ってくれました。
全国大会出場者(大学の講師でもある)と話していて、「どんどん忘れればいいんですよ」と言われたので、今回の感想もこんぐらいにして、極力読み返さないようにします。淘汰されて残った物が私にとっての「いいもの」になるそうなので(こんだけダラダラ書いといて)。
機会があれば、『詩のボクシング』、触れてみてはいかがでしょうか。
続きに負けた詩と、二次会のバーで読んだ詩、更に読みたかったけど機会が得られなかった新しい詩をのっけときます。
※注※
口頭で読んだのは載せた詩の改訂版です。その場の気分で変えた言葉まで記憶出来なかったので。
結果から言いますと、初戦敗退です(判定6-1)。
私が思う敗因:歌ったこと
歌ったんですよ…観客の前でいきなり。24時間以上経った今の方が若干恥ずかしい不思議。
新しくできた詩のワンフレーズに何となくメロディーが付いてしまい、それをケータイでメロディにして、出来た以上は聞いてほしい、というわけで、歌っちゃいました。
朝起きたときに一番聞いてほしいと思ったものを読み、「勝つ時も負ける時もコレで」と思っていたので、歌声を曝したことに後悔は無いです。
ただ、悔しいな~。
歌ってなかったら、もう少し票の入り方も変わってたんじゃないかと思えます。ま、もし歌ってなくても「歌っとけばよかった」みたいな後悔は出てきそうなんで、よく分かりません。
会場には友達も来てて、歌の感想とかも聞きました。その際、横に居た知らないおじいちゃんからも「歌が聞きづらい」と諌められました(笑)。
ただ、「他の詩も聞きたいと思ったので、敗者復活に票を入れたからね~」と見知らぬおばあさんに言ってもらったことは、本当に嬉しかったです。結果敗者復活戦にも進めませんでしたが、「聞いてもらえたんだ」という実感が得られたことが喜びです。
もう一つ意外だったのは、私の詩を「きれい」と評価して下さる方がいらっしゃった事。自分では心の中の汚さ(特に嫉妬心)を書き出したつもりだったのに、そういう風に取られず、寧ろ逆の評価を戴いたことが驚きです。思ったとおりの評価(批評)が得られないといい気になれない性質ですが、今回のは嬉しかったですね。出してみないと分からんもんだ。
参加者の一部が「懇親会」と称して飲みに行くのが定番(ただ帰りが自転車なので私はお茶ばっかり飲んでる)。その二次会では詩が読めるバーに流れ込み、「供養」と称して読めなかった詩を披露することに。エキシビジョン感覚で何の衒いも無く感情込めてみたら「…なんでそっち読まなかったの?」と言われた。今更…。
全国大会経験者(だったか…あまり話してない)もその場に居たので、詩を披露してもらいました。
…普通に圧巻された。何でそんな事思いつくんだこの人達。
談笑の場面で、自分の話ばかりを聞いてもらおうとする病気発症。
自分の書いてる詩は「みてもらう」(読み物)として書いているので、口頭で、自分の見てくれとか声を含めて披露される場では発揮されないと思い込んでました。だから、逆に「もっと色々できるかも」と思える機会を得られた事は大きな収穫です。
全国大会に出られた人も、高知大会で勝ち進んだ方も、それぞれスタイルを持っていて、いずれも魅力的でした。でも、それが自分にも出来る事だとは限らない。今回歌ってしまってみて、特に感じました。予選の『下りてこない』を聞いてくれた方も、「○○(本名)さんらしい作品だった」と言って下さった様に、何らかの印象付けが既に出来ているようですし。
どっかのニュースで『現代の若者は、目立ちたがるが批難される事は嫌がる』と言ってました。仰る通りで、知って欲しいけど、離れられたくないんです。6-1で負けた時もすげーショックだったし(笑)。
だけど、「聞いて貰いたい」ことがある以上、そしてそちらが強い以上は、何か続けられそうです。
次参加できるかは分かりません。接客業は土日も仕事です。でも、「負けて悔しかった事」と「だから二度と出るもんか!と思えなかった事」もあり、どこかでひょっこり関わりたいな~と考えています。来てくれた友人達も、「おもしろかった」と言ってくれました。
全国大会出場者(大学の講師でもある)と話していて、「どんどん忘れればいいんですよ」と言われたので、今回の感想もこんぐらいにして、極力読み返さないようにします。淘汰されて残った物が私にとっての「いいもの」になるそうなので(こんだけダラダラ書いといて)。
機会があれば、『詩のボクシング』、触れてみてはいかがでしょうか。
続きに負けた詩と、二次会のバーで読んだ詩、更に読みたかったけど機会が得られなかった新しい詩をのっけときます。
※注※
口頭で読んだのは載せた詩の改訂版です。その場の気分で変えた言葉まで記憶出来なかったので。
◆◆◆
命の展覧会
夏の公園の時間を止めて命の展覧会
観客は僕一人だけ はしゃぐ言葉も もう聞こえない
ボールを追う子に 砂山つくる子 ブランコ 抱っこ
楽しそうだけれど 入れない 僕はお客だからね
虫取り網にセミを入れて ドラマにしてみよう
初めて捕れた 小さな命 笑顔にしてあげる
僕は神様だよ
だから時を止められるの
運動会の時間を止めて命の展覧会
観客は僕一人だけ 大歓声も もう聞こえない
揺らめく旗や 飛び散る汗とか なんだかドキドキだ
必死な顔ってすごいよね ホラあんなに歪んでる
この子とこの子を入れ替えて ドラマにしてみよう
逆転劇だ すごかったねと いい記憶にしてあげる
僕は神様だよ
だから何してもいいの
横断歩道の時間を止めて命の展覧会
観客は僕一人だけ 雑踏だって もう聞こえない
たくさんの人が電話を片手に 片足浮かせてる
こんなに道を埋めているのに 横の人と話さない
この男性の向きを変えて ドラマにしてみよう
女性と車 どちらに当たるかで シナリオは走る
僕は神様だよ
だれも指図はできないの
この地球の時間を止めて命の展覧会
こんなに命があるのなら ひとつぐらい壊してもいいよね?
どれにしようかな? こっちがいいかな? それともあなたかな?
どいつもこいつもおんなじ顔で 然程大差も無い
やっぱり止めた 何だか飽きた ドラマはもう終わり
時間を戻す 次の瞬間 たくさん同時に消えた
・・・僕は神様だよ
だれの為のものでもない
僕は神様だよ
ただ完璧じゃないだけさ
それでも「神様」なのさ
【過去未発表。初戦敗退した詩。メロディーも存在】
◆◆◆
追う(改訂版)
街の中で迷子になった きみを探そう
おにごっこの途中で 横断歩道の意地悪に巻き込まれて
ぼくの見えるところから いなくなったきみを
広い街 入り組んだ路地 固い柱
すべてがきみを隠してる
ひとりぼっちのぼくを見下ろして 笑っている
ひとりぼっちのぼくを 冷たく突き放している
だから風にお願いをしたんだ ぼくを大きくしてと
何よりも高くなって あのこをつかまえるんだ
ぼくの足元に集まる風が 渦を巻いて
ぼくを高く高く 空に伸びる柱にしてくれた
よく考えてみてよ 最初にズルしたのはきみでしょ?
小さなからだで 人波に飛び込んだりして
だからぼくも ずるっこするよ
許してくれるね? きみはやさしいから
ぼくは大きくなったよ きみを探す
ちょっとごうごうとうるさいけど 風も四方を見てくれる
ようし始めよう あのこはどこかな?
風はいろんなものを拾って ぼくに見せてくれる
でも持ってくるのは ぼくを笑っていた街のかけらばかり
ちがうよ、
カバンも 自動販売機も スーツのおじさんも 茶色の猫も
ぼくが探してるのはあのこだ
ちがうって、
バスも 空き缶も 郵便ポストも 片方のだけのサンダルも
元の場所に捨てておいで
風は間違ったものばかりを持ってくる
次々に見せようとするんだ
ちがうものばっかりで邪魔だよ
ぼくが探してるのはあのこだ
捨てておいで そんな物
捨てておいで そんな者・・・
すっかり街はひろくなり ぼくもこんなに大きいのに
やっぱりきみは見つからない そんなに足が速かったっけ
太陽も帰る ぼくもかえるよ
続きは明日 またこの街で
風にさよなら 明日もよろしく
がれきを踏んで けがしないように
帰りぎわにあのこを見つけたら きっと教えてね
すぐにでも ぼくは追いかけるから
【エキシビジョンで披露し、「きれい」と評価された詩。谷山浩子さんの影響を逸脱して、完全に「自分の作品」として書き上げていたものなら、もう少し喜べたのですが。】
◆◆◆
もりとふたり
たくさんの木の実と
優しい家族がいる
これまでの私は、この森が大好きだった
「だった」。
暗い思い出の染み付いた森は
私の心を肥料にして育つ
母は消えた
父も消えた
兄もいなくなった
私だけ残った
私は森を走る
家族を攫った敵から逃げる
枝をくぐり
岩を避けて
私に隠れる場所を
敵にも身を潜める場所を
森は敵じゃない
ただ味方じゃないだけ
息を切らして森にしゃがむ
逃げ切れた安堵と、暗がりの孤独
また森に顔をうずめる
そうしてまた、森が育ってゆく…
私と森に朝が来る
星座が朝に殺される
塗り潰された歴史は、ただ蒼く色褪せ
そこから痛みの声が生まれて
それが幾重にも重なれば
森にまた 悲しみの雨を降り注ぐ
悲しみを浴びる
哀しみを飲む
悲しみは冷たい
哀しみは美味しい
傍観の小鳥の美しいさえずり
伏せていた眼に 朝の日射しはあまりにも眩しい(まぶしい)
だから森は 固い広葉樹を並べて
私を光から護ってくれる
でも暖かくてお節介な朝が 今日も闇をこじ開ける
また今日も 一日が始まる
家族を失った今も
他に居場所の無い私は 森の懐に居る
森には木の実がある それを食べれば体は機能する(うごく)
私も「生活(いのち)」を以って 森を養う
ふたりのどちらかが欠けても 森だけは育つ
これが私と森との「共存」
私じゃなくていいのに 決して離しはしない
もう幸せなんて解らない
今の日々だって、私が望んだんじゃないわ
森に意図なんて無い
森に心なんて無い
だから全ては私の思い込み
すべては私の幻
なのに
幻から出られない・・・!!!
【披露できなかった詩。小説読んで下さってる方は、シャ●ーズの話を想起してみて下さい。それが元ネタなので。「『×××』って部分、どう思う?」と読んでくれた人に聞いてしまう辺り、まだまだ人として未熟…言い過ぎか。】
命の展覧会
夏の公園の時間を止めて命の展覧会
観客は僕一人だけ はしゃぐ言葉も もう聞こえない
ボールを追う子に 砂山つくる子 ブランコ 抱っこ
楽しそうだけれど 入れない 僕はお客だからね
虫取り網にセミを入れて ドラマにしてみよう
初めて捕れた 小さな命 笑顔にしてあげる
僕は神様だよ
だから時を止められるの
運動会の時間を止めて命の展覧会
観客は僕一人だけ 大歓声も もう聞こえない
揺らめく旗や 飛び散る汗とか なんだかドキドキだ
必死な顔ってすごいよね ホラあんなに歪んでる
この子とこの子を入れ替えて ドラマにしてみよう
逆転劇だ すごかったねと いい記憶にしてあげる
僕は神様だよ
だから何してもいいの
横断歩道の時間を止めて命の展覧会
観客は僕一人だけ 雑踏だって もう聞こえない
たくさんの人が電話を片手に 片足浮かせてる
こんなに道を埋めているのに 横の人と話さない
この男性の向きを変えて ドラマにしてみよう
女性と車 どちらに当たるかで シナリオは走る
僕は神様だよ
だれも指図はできないの
この地球の時間を止めて命の展覧会
こんなに命があるのなら ひとつぐらい壊してもいいよね?
どれにしようかな? こっちがいいかな? それともあなたかな?
どいつもこいつもおんなじ顔で 然程大差も無い
やっぱり止めた 何だか飽きた ドラマはもう終わり
時間を戻す 次の瞬間 たくさん同時に消えた
・・・僕は神様だよ
だれの為のものでもない
僕は神様だよ
ただ完璧じゃないだけさ
それでも「神様」なのさ
【過去未発表。初戦敗退した詩。メロディーも存在】
◆◆◆
追う(改訂版)
街の中で迷子になった きみを探そう
おにごっこの途中で 横断歩道の意地悪に巻き込まれて
ぼくの見えるところから いなくなったきみを
広い街 入り組んだ路地 固い柱
すべてがきみを隠してる
ひとりぼっちのぼくを見下ろして 笑っている
ひとりぼっちのぼくを 冷たく突き放している
だから風にお願いをしたんだ ぼくを大きくしてと
何よりも高くなって あのこをつかまえるんだ
ぼくの足元に集まる風が 渦を巻いて
ぼくを高く高く 空に伸びる柱にしてくれた
よく考えてみてよ 最初にズルしたのはきみでしょ?
小さなからだで 人波に飛び込んだりして
だからぼくも ずるっこするよ
許してくれるね? きみはやさしいから
ぼくは大きくなったよ きみを探す
ちょっとごうごうとうるさいけど 風も四方を見てくれる
ようし始めよう あのこはどこかな?
風はいろんなものを拾って ぼくに見せてくれる
でも持ってくるのは ぼくを笑っていた街のかけらばかり
ちがうよ、
カバンも 自動販売機も スーツのおじさんも 茶色の猫も
ぼくが探してるのはあのこだ
ちがうって、
バスも 空き缶も 郵便ポストも 片方のだけのサンダルも
元の場所に捨てておいで
風は間違ったものばかりを持ってくる
次々に見せようとするんだ
ちがうものばっかりで邪魔だよ
ぼくが探してるのはあのこだ
捨てておいで そんな物
捨てておいで そんな者・・・
すっかり街はひろくなり ぼくもこんなに大きいのに
やっぱりきみは見つからない そんなに足が速かったっけ
太陽も帰る ぼくもかえるよ
続きは明日 またこの街で
風にさよなら 明日もよろしく
がれきを踏んで けがしないように
帰りぎわにあのこを見つけたら きっと教えてね
すぐにでも ぼくは追いかけるから
【エキシビジョンで披露し、「きれい」と評価された詩。谷山浩子さんの影響を逸脱して、完全に「自分の作品」として書き上げていたものなら、もう少し喜べたのですが。】
◆◆◆
もりとふたり
たくさんの木の実と
優しい家族がいる
これまでの私は、この森が大好きだった
「だった」。
暗い思い出の染み付いた森は
私の心を肥料にして育つ
母は消えた
父も消えた
兄もいなくなった
私だけ残った
私は森を走る
家族を攫った敵から逃げる
枝をくぐり
岩を避けて
私に隠れる場所を
敵にも身を潜める場所を
森は敵じゃない
ただ味方じゃないだけ
息を切らして森にしゃがむ
逃げ切れた安堵と、暗がりの孤独
また森に顔をうずめる
そうしてまた、森が育ってゆく…
私と森に朝が来る
星座が朝に殺される
塗り潰された歴史は、ただ蒼く色褪せ
そこから痛みの声が生まれて
それが幾重にも重なれば
森にまた 悲しみの雨を降り注ぐ
悲しみを浴びる
哀しみを飲む
悲しみは冷たい
哀しみは美味しい
傍観の小鳥の美しいさえずり
伏せていた眼に 朝の日射しはあまりにも眩しい(まぶしい)
だから森は 固い広葉樹を並べて
私を光から護ってくれる
でも暖かくてお節介な朝が 今日も闇をこじ開ける
また今日も 一日が始まる
家族を失った今も
他に居場所の無い私は 森の懐に居る
森には木の実がある それを食べれば体は機能する(うごく)
私も「生活(いのち)」を以って 森を養う
ふたりのどちらかが欠けても 森だけは育つ
これが私と森との「共存」
私じゃなくていいのに 決して離しはしない
もう幸せなんて解らない
今の日々だって、私が望んだんじゃないわ
森に意図なんて無い
森に心なんて無い
だから全ては私の思い込み
すべては私の幻
なのに
幻から出られない・・・!!!
【披露できなかった詩。小説読んで下さってる方は、シャ●ーズの話を想起してみて下さい。それが元ネタなので。「『×××』って部分、どう思う?」と読んでくれた人に聞いてしまう辺り、まだまだ人として未熟…言い過ぎか。】
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