ネット解約です!
またいつかお会いしましょう!
…という事で、最後に読み切りを一本だけ載せて去ります。
でわ!!
またいつかお会いしましょう!
…という事で、最後に読み切りを一本だけ載せて去ります。
でわ!!
今日は何かが起こる!
漠然とした、しかし確固たる自信があった。誕生日や休日。そんな特別なものではない日。朝ごはんはトーストに卵焼き。学校では理科のテスト。帰り道で友達とはしゃぎすぎて交通指導のおばさんに注意された。晩御飯はカレー。こんな何気ない一日の中を、湧き上がってくるワクワクにナツキは突き動かされていた。晩御飯の間中、母さんはずっとにやけているナツキを見て心配していた。妹のチアキも、「お兄ちゃんはモウソウズキだから変な事急にしないか心配なのよね~」と、母さんの口真似をしていた。お風呂から上がって、瓶牛乳を持ってリビングに出ると、父さんが帰っていてビールを飲んでいた。テレビには天気予報。住んでいる地域には晴れマーク。「ナツキ、何かあったのか」と聞かれると、ナツキが答えるよりも早く母さんが「ずーっとこんな調子なのよ」と息をつく。「ゲームは宿題やってからよ、それに早く寝なさい!」という母さんの言葉を背中に、ナツキは階段をかけ上るように部屋に向かった。途中、ドアの開いていたチアキの部屋に顔を出す。
「『ポケモンの友』の今月号持ってない?」
「え~、今読んでるから後にして」
表紙のカイリューが揺れている。チアキが寝転がってまさに『ポケモンの友』今月号を読んでいるのだ。後で持ってくるように言って、自分の部屋に入る。母さんに言われたとおり、漢字の書き取りの宿題を始める。ふと時計を見ると、時刻は夜八時を回ったところ。あと時計が4周すれば、今日は終わる。でも、その4周の間に何かが起きる!ナツキはワクワクが押さえきれず、ついに肩を震わせて笑い始めてしまった。「・・・兄ちゃん、キモいよ」と言いながら、チアキが『ポケモンの友』と前に貸していた色鉛筆を持って入ってきた。
友達に借りたRPGをしていても、いつもよりも面白くない。ボス戦前のレベル上げばっかりしているからじゃない。これからもっと面白いことが起きる筈なんだから!時刻も10時半、若干弱気にはなってきている。「そろそろ寝なさい」と、母さんがたたまれた体操着を持って入ってきた。「ナツキ、今日は何か嬉しいことでもあったの?」ベッドに服を置きながら聞いてくる母さんに、ナツキは「ううん、これから起こりそうなんだ!」と答えた。母の脳裏に「夜遊び」という言葉が一瞬掠めたが、夜遊び宣言をして夜遊びに行く子はいないと思って(そもそもそんなことさせる気は無いが)、「ほどほどにして、早く寝なさい。明日も学校なんだから」と言い、最後におやすみ、と付け足して出て行った。「ほどほど」の主語は、テレビゲームでもあり、いわゆる母にとってのナツキの「妄想」であった。
ナツキの寝つきは驚くほどにいい。たとえ脳が興奮状態にあったとしても、ひとたび布団をかぶって目を閉じれば5分もすれば眠りにつく。普段通りに始まった一日は、普段通りに終わろうとしていた。ナツキはしぶしぶながらも、もう三日もあれば満ちるであろう月の光をカーテンで遮り、普段通りの時間、11時過ぎに眠りに着いた。
コンコン。
ナツキの部屋のガラス戸。カーテン越しに叩く音。
コンコン。
ここは2階。カーテンに浮かぶ誰かのシルエット。
コンコンコン。
ナツキはがば、と飛び起きた。幼稚園の頃から使っているピカチュウの目覚まし時計は、しっぽの形をした針についている夜光塗料から測るに11時55分を差している。やっぱりだ!心臓がどっくんどっくんと音を立てる。解ってたのに緊張しているみたいだ。カーテンに映る影ははためいている。音はしないが、上下の揺れで分かる。でも…鳥ではない!
そっとカーテンを開く。母さん達を起こしてはいけないからと電気を消しているのに、心臓の音だけでバレてしまうような気がする。そして、半分ぐらい開いたとき、窓の外の影と、目が合った。
相手はヘラッ、と笑い、ナツキに向かって手を振る。ナツキは思わず手を振り返す。何だか嬉しくてのぼせてるような気がする。大きな腕。対の翼。角。あとは・・・触角っていうのかな?
何か起きる、とはまさにこの事か!
向かい合っている相手は。
ドラゴンポケモン・カイリュー。
…雑誌で見るよりも大きい!
鍵を外し、窓を空かす。ひんやりとした風が吹き込んでも、ナツキは冷めることなく。
「こ、こここ・・・こんばンは!」初めて挨拶で声が裏返った。
「こんばんは~」
ご丁寧に礼。ナツキも慌てて返礼。
「ナツキ君、って、君?」
「は、はい!僕がナツキです!」
体格のわりに口調は子どもっぽい気がする。でもナツキは殆ど気にならない。初めてカイリュー実物に会った、しかも逢いにきてくれたみたい、という興奮で叫びたくなっている。でもここは住宅街。家族だけでなくご近所さんまで起こせばそれこそ大騒ぎだ。カイリューもすごく静かに(さすがに音は消せないみたいだ)飛んでいるので、そこに早々に気付いて、ナツキは比較的自分をセーブできている。
「この家のナツキって人が、僕らと話ができるって噂で聞いてきたんだけど、君の事で合ってる?」
「えと…、そう、そうです!」
「だよね~、今話せてるもんね~」
のほほんとカイリューが笑う。ナツキふたり分は確実にある背丈で、どうしても圧倒されてしまいそうなところはある筈だが、カイリューからの威圧感は無い。はじめましてなのに、親近感が漂っている。ただ、これは後で気づいたこと。ナツキは何を聞こうかとか、質問の模索と興奮で頭がいっぱいになっているのだから。
「あの…」
「はい、どうぞ」
何だか受け答えは病院のベテラン先生みたいだ。
「何で、僕のところに来てくれたんですか?」
「いきなり本題に入るんだね~」
「ま、マズいですか?」
「いや、まったく。あ、でも、敬語やめてくれるかな~?君よりそんなに長く生きてる自覚、無いんだけど」
屈託の無い笑顔。ずっと抱いている親近感はこれの所為だ。
ナツキがゴメン、と謝ると、カイリューは「いいよいいよ」と手を振った。
「それで、今日来たのはコレでなんだけど」
そう言って、カイリューはずっと下げていた左手をナツキの顔の前で開いた。手の平には、モンスターボールがひとつ。ただ、いくつも擦ったような傷があり、ところどころ泥がこびりついている。
「…え?どうしたの?」
「コレ?山で拾ったんだ~」
そうではなくて。
ナツキの怪訝そうな顔を尻目に、カイリューはびっくりするようなことを口にした。
「ボクをさぁ、捕まえてほしいんだ」
「…はい?」
「正確には、世間的にボクのトレーナー扱いになってほしいの」
正確に言われた方がより解り辛いのですが。
そもそも捕まえてほしいなんて言ってくるポケモンなんて見たことない。逃げたいと願っていたヤツは見たことがあるけど。でもいきなり9歳でカイリューのトレーナーになれるってすごくないか!?しかもあちらから頼んでくるなんて!…待てよ、でもトレーナー「扱い」って付け足したぞ。それってどういうことだ?未熟さとか、そういうものを図って、将来的に真のトレーナーとして見てくれるとかか?それこそ漫画みたいで、楽しみでもあるけど、僕はまだ小学生で、いきなりそんな世界を救う旅だなんて…
「…どうやら大分混乱させてるみたいだね」
カイリューが吐いたため息が前髪を揺らして、ナツキは我に返った。
「ボクさぁ、順を追って物事を説明するの苦手なんだよね~。いきなり話が飛躍してもわかんないよね~」
実はナツキ自身も随分飛躍していたが、カイリューはひとり言のようにもぞもぞと言うので、若干頬を赤らめるナツキに気付いていなかった。
「ナツキ君、眠くない?」
「え?うん、大丈夫」
そんなものとうの昔に吹き飛んだ。
「じゃあ、もうすこしちゃんとお願いを聞いてもらうね」
「あ、待って」
そう言って、ナツキは部屋の入り口の鍵をして、夏用の薄い布団や母が持ってきた体操服をごちゃ混ぜにまとめて掛け布団の下に詰めた。そして、暖かくなるようにパーカーを着ながら言った。
「ウチからそう遠くないところに、夜になると誰もいない広場があるんだ。そこで話そうよ」
カイリューはさすがに16時間超飛び続けられる(と図鑑にある)だけあり、全く疲れていないようだけれど、自分だって朝礼で5分もじっと立っていられないし、そもそもあまりここでカイリューが浮かんでいたら、誰に見られるとも解らない。自身も落ち着いて話を聞いてみたいので、取り敢えず場所を変えようと思ったのだ。その意図を汲み取ってか知らずか、カイリューは素直に応じてくれた。
「はぁ、はぁ、はぁ……は、ハハハハっ!」
「楽しそうだったね~」
「そりゃあ楽しいに決まってるじゃん!飛行機にも乗ったこと無いんだから!」
ナツキは草むらに寝転がって、体をぐーんと伸ばした。
「じゃあ、帰りにはもう少し長く飛んであげるね」
カイリューの背中に乗せてもらって広場まで来るわずか数分、ナツキは緊張で体をこわばらせ、声も上げられなかった。真っ暗な街は怖いし、落とされないかも怖いし、夜中に家を出たことが母さんに知られるのも、カイリューが誰かにばれて騒ぎになるのも怖かった。でも、地面に足が付いた途端、全ての懸念は無駄に終わり、その分喜びがバネのようにナツキの感情を突き動かしたのである。
どうしようもなく沸き起こる笑みを押さえながら(だって締まりが無いもの)、ナツキは改めて横にゆっくりと腰掛けたカイリューに問いかけた。
「それで、カイリューはどうして僕に『仮の』トレーナーになってほしいの?」
「それは、今のナツキの感情に似ているね~」
カイリューはナツキを君付けで呼ぶことを止めていた。
「僕の感情?」
「ボクはさぁ、進化してカイリューになれるまで、ずーっと世界中を飛び回ってみたいと思ってたんだ。多分、産まれた時からずっと」
「ハクリューの時でも飛べるんじゃないの?」
「スピードだよ、スピード。ボクより先に産まれたオトナのみんなとは全然違うんだ」
「へぇ~」
「ナツキはさ、さっき空を飛んだ時、楽しかったでしょ?」
「うん、めちゃめちゃ!」
飛んで来た時の感覚を思い出し、ナツキはまた少しそわそわした。
「そう。そんな風に、ボクも自由に、楽しく飛びまわっていたいんだ。今までずっと出来なかった分、思いっきり!」
普段の間延びした感のある語調は鳴りを潜め、カイリューは実に生き生きと語っている。その感情を受け、ナツキは共感を示して何度もうなずく。我慢していたものから開放される嬉しさは、例えどんなに些細なことでも気持ちがいいものだ。ただ、ナツキにはまだ分かっていない事がある。
「それで、何で僕がカイリューを捕まえるの?自由になりたいなら、尚更トレーナーなんて要らないんじゃない?」
「『ヒトのものを取ったらドロボウ!』って言うでしょ?」
低学年の道徳の時間に出てきたフレーズ。そうでなくてもよく聞く、有り触れた一言だ。何でそれをポケモンのカイリューが知ってるのかは置いといて。
「自由に旅しているのに、いきなり人間と出くわして、攻撃されて、しつこく追いかけられて、その結果捕まったら一巻の終わりじゃない。お先真っ暗だ!」
カイリューは初めて見せる嫌そうな顔でかぶりを振った。
「だからナツキに、…まぁ攻撃されるのは百歩譲って仕方無いとして、他のヒトに捕まえられないように、トレーナーになっておいてほしいんだ」
ようやくナツキにも話が見えてきた。つまり、カイリューが『ヒトのもの』(ここではナツキのもの)になることによって、他のヒトのものになることを防ごうという訳か。その願いを聞いてもらうために、今夜自分のところを訪ねてきたのだ。
ただ、残念なお知らせがある。ナツキは自分が持っている知識を、出来るだけカイリューに伝えようと思った。
「…無理があるね」
「えっ!?」
「一度捕まえれば、確かに君は僕のポケモン、ということになるよ。だけど、それから何日も何日も離れた場合、君は『逃がされた』という風に取られちゃうんだ。僕とカイリューの間に関係があっても、他の人は知らない。野生かそうじゃないかなんて、判り様がないんだ」
カイリューが目に見えてしょげる。触角(?)やしっぽが下を向いて垂れる。
「僕は他人のポケモンを捕まえようとしたことがないから分からないけど、知る限りでは君を捕まえようと投げられたボールから君を守るのは、君のすぐ傍にいるトレーナーだ。もし僕がトレーナーだったとしても、離れてたら守りようが無いよ」
どんどんとカイリューが落ち込んでいく。その様子を見ていると可哀想で仕方ない。だけどもう一つ、大切なことを伝えておかないといけない。
「それにもっとタチの悪いのがいる。密猟者だ。そいつらは誰のポケモンであろうが関係ない。野生でも何でも、欲しい物は何でも力づくで奪っていくんだ。それこそボールを使うなんて限らない。ネットかもしれないし、危ない道具かもしれない。だから……」
そこまで言って気付いた。カイリューが泣きそうになっている。
もう少し柔らかい言い方があったかもしれないが、小学校中学年のナツキは婉曲話法など習っていない。ナツキは焦り、同じぐらい悲しくなってきた。
「…だから!気をつけて、っていうことだよ!…そんなに密猟者が世界に溢れてるわけじゃないし、そもそも悪い人間ばっかりじゃない…と僕は思うし、カイリューは強そうだし、きっと大丈夫だと思うよ!」
必死にフォローする。そりゃあ希望に満ち溢れている相手にずばずばと現実を突きつけるのは酷以外の何者でもないが、当人にとっては現実をいきなり体感する方が辛いのだ。
そのフォローが効いたのか、カイリューは一度鼻をすすってナツキの目を見た。大きなきらきらの目の淵には、零れ落ちそうな涙の塊が乗っている。その表情が、何だか見ていられない。
「ね?旅そのものを諦めたりしないで!…とりあえず涙拭きなよ」
そういいながらパーカーのポケットを探ると、ハンカチ代わりに入れていた緑色のバンダナに触れた。実は結構前から入れっぱなしの使いっぱなしで、くしゃくしゃになっているけどここは仕方がない。カイリューに手渡すと、すぐに目じりを拭いてくれた。
「…ナツキは優しいんだね」
バンダナを返しながら、カイリューは弱々しくはあるが笑顔を見せてくれた。
「あ!!」
バンダナを受け取ろうとしたその時、急にナツキは声を上げた。カイリューがビクッ!とした。
「…どうしたの?」
「コレだよ、バンダナ!野生のポケモンかどうか判別するなら、目印をつけておけばいいんだ!そうすれば何処かにトレーナーがいるポケモンだって気付かせることができる!」
そう言ってナツキはバンダナを受け取り、カイリューに左腕を出すように告げる。
「コレ、ボクがしてていいの?…というか、密猟者とかには意味無いんじゃ…」
半ば渋るようにゆっくり出されたカイリューの腕をつかみ、ナツキはバンダナを当てる。
「そこは考え様なんだって!これはカイリューが嫌な思いをする機会(こと)を減らして、楽しく旅をするためのお守り。あとは君次第、ってことになるけどね。バンダナも気にしなくていいよ。こんなのどこにでも売ってるし、母さんに聞かれたら失くしたとか言えば平気だからさ……うん、いいじゃない!」
カイリューの腕に巻かれた緑のバンダナ。少々尺が足りなくて結び目はぎりぎりだが、きちんと留まっている。
「…へへ。じゃあありがたく受け取るね」
「落とさないでよ!」
子どものように無邪気に頬を赤らめるカイリュー。その顔を見ていると、ナツキもつられて心底嬉しくなった。
これでとりあえずは一件落着だ。
「もうすぐにどこかに出かけるんだ?」
「そうだね~、ボク眠ってられない気分になってるからね~」
「…言っとくけど、ちゃんと僕を家まで連れて帰ってからにしてよね」
ナツキは正直少し寂しくなっていた。あまりにも唐突すぎる出会いと、お別れ。夢みたいで、でもその夢が覚めるみたいで、夜風もちょっと冷たい。
「もちろんだよ~、帰るまでにまた少し長めに飛んであげるから、お礼にね」
カイリューがまた笑いながら答える。
お礼か。そんなつもりじゃないよ。ナツキがそう言いかけたとき、カイリューは自分が拾ってきたドロつきのモンスターボールを差し出した。
「…くれるの?」
「…やっぱりナツキに、ボクのトレーナー「扱い」にもなってほしいんだ」
「え!?」
「これはお礼じゃないんだけど、君に出会えてよかったっていう気持ちは解ってほしいんだ。いつかまた会えるように、これをずっと持っていてほしい。友達の証として」
「…」
ナツキには少しためらいがある。寂しさのような、また何か違うような。
「友達だから、トレーナー「扱い」っていうの!」
そう言ってカイリューはモンスターボールをナツキの眼前にぐっと近づける。その顔を見上げると、今日見た中で一番の笑顔をしていた。すごく真っ直ぐで、見ている人も幸せになれそうな笑顔。
その表情に誘われるように、背中を押されるようにナツキはボールを手にした。一応小学校でもポケモンの捕まえ方や出し方は模擬実習でしたことはあるが、その感覚とは全く違うと思った。
こびりついた泥を少しぬぐう。固まってしまっているから後で濡れタオルで拭いてみよう。傷は消えなそうな気がするけど。
「…うん、じゃあ行くよ!」
ナツキも笑顔でカイリューに向き合う。
「うわ~初めてボールに入る~」
「僕だって緊張してるよ。かる~く投げるからね」
「おっけ~」
心臓がどくんどくんしている。ナツキは何でこんなに緊張しているのか解らないが、緊張しない理由も無いような気がしている。
生ツバを飲み込み、深く息を吐いてから、下手投げでふわっ、とボールを投げる。ボールはカイリューの胸に当たると一瞬閃光を撒き散らし、すぐに夜に溶け込んだ。
ボールを拾いあげると、中のカイリューと大きな目が合った。表情は良く分からない。
ほんの一瞬、ある思考が脳裏を掠めたけど、カイリューが楽しそうに空を書ける姿を思い浮かべたらすぐに立ち消えた。
「一回言ってみたいことがあるんだ」
ボールの中のカイリューにそう話しかけ、ナツキはボールを握り直す。すうっと息を吸って。
「行っけー、カイリューーーー!!!!」
思いっきりボールを投げると同時、同じ閃光を放ちながらカイリューが目の前に現れた。
「言ってみたかったことって、ソレ?」
「…そうだよ、何かカッコイイんだもん!」
ナツキはテレビで見るような行動を一度取ってみたかったわけで。9歳という微妙な年齢からくる恥ずかしさと、何だか生意気な感じがするフレーズを言ってしまった事への焦燥を隠すことなく曝け出していた。カイリューもナツキの心理を正確に理解できたかは定かではないが、少しからかうような顔をしていた。そんなふたりが目を合わせると、どちらともなく吹き出してしまった。
それから約束どおりのしばしの空中遊泳の後、カイリューはナツキを部屋まで送り届けた。
「じゃあ、僕も失くさないようにこのボールをずっと持ってるから、きっとまた会おうね」
「ボクもコレ、ずっとつけておくよ~」
腕をつき出し、カイリューが笑う。ナツキも負けじと笑い返す。笑顔で、それ以外の感情をすべて隠しながら。
最後に、ふたりは握手をした。カイリューの手は大きいので、爪を握る。はためいて体が揺れていても、しっかりと腕をふる。
「それじゃあ、行くよ!」
バサッ、と、一陣の風を巻き起こし、カイリューは舞い上がった。
ナツキは窓から身を乗り出して、カイリューの姿を追った。ぐんぐん小さくなる姿。
「……またねー!!」
さっきまでは近所や家族を気にしていたが、堪えきれなくなって夜空に向かって叫び、大きく手を振った。
カイリューは2度ほど空を旋回し、月の出ている方角へ飛び去って見えなくなった。
「また…」
小さく呟き、ナツキはいつまでも月を眺めていた。
目覚まし時計で目が覚めた。カーテンの隙間の光で朝を感じた。
起きた瞬間、全ては夢を見ていたのだと思っていた。鮮やかに楽しく、でも何故か寂しい夢。でも、手の中に古びたモンスターボールを抱えている感触が分かると、ナツキは布団の中でうずくまり、声を殺して笑った。しばらくすると、母さんが「もう起きなさい」、と言いながら部屋に入ってくる。布団から少し顔を出すと、母さんが開けたカーテンから、眩しい光が飛び込んでくる。
「昨日、寝言で叫んでたわよ。『また会おうねー』とかなんとか」
やれやれ、という感じで息をつき、母さんはチアキを起こしに出て行った。
母さんも証人だ。やっぱり夢なんかじゃなかった!
ナツキは布団を蹴り上げ、思い切り伸びをした。
「よーし!」
一言気合をいれ、母さんを追い抜いて階段を駆け下りた。
何でも頑張れる気がした。
だって、『またね』のための一歩目は、もう始まっているのだから!
◆実は続きはありますが、それはまたいつか。
漠然とした、しかし確固たる自信があった。誕生日や休日。そんな特別なものではない日。朝ごはんはトーストに卵焼き。学校では理科のテスト。帰り道で友達とはしゃぎすぎて交通指導のおばさんに注意された。晩御飯はカレー。こんな何気ない一日の中を、湧き上がってくるワクワクにナツキは突き動かされていた。晩御飯の間中、母さんはずっとにやけているナツキを見て心配していた。妹のチアキも、「お兄ちゃんはモウソウズキだから変な事急にしないか心配なのよね~」と、母さんの口真似をしていた。お風呂から上がって、瓶牛乳を持ってリビングに出ると、父さんが帰っていてビールを飲んでいた。テレビには天気予報。住んでいる地域には晴れマーク。「ナツキ、何かあったのか」と聞かれると、ナツキが答えるよりも早く母さんが「ずーっとこんな調子なのよ」と息をつく。「ゲームは宿題やってからよ、それに早く寝なさい!」という母さんの言葉を背中に、ナツキは階段をかけ上るように部屋に向かった。途中、ドアの開いていたチアキの部屋に顔を出す。
「『ポケモンの友』の今月号持ってない?」
「え~、今読んでるから後にして」
表紙のカイリューが揺れている。チアキが寝転がってまさに『ポケモンの友』今月号を読んでいるのだ。後で持ってくるように言って、自分の部屋に入る。母さんに言われたとおり、漢字の書き取りの宿題を始める。ふと時計を見ると、時刻は夜八時を回ったところ。あと時計が4周すれば、今日は終わる。でも、その4周の間に何かが起きる!ナツキはワクワクが押さえきれず、ついに肩を震わせて笑い始めてしまった。「・・・兄ちゃん、キモいよ」と言いながら、チアキが『ポケモンの友』と前に貸していた色鉛筆を持って入ってきた。
友達に借りたRPGをしていても、いつもよりも面白くない。ボス戦前のレベル上げばっかりしているからじゃない。これからもっと面白いことが起きる筈なんだから!時刻も10時半、若干弱気にはなってきている。「そろそろ寝なさい」と、母さんがたたまれた体操着を持って入ってきた。「ナツキ、今日は何か嬉しいことでもあったの?」ベッドに服を置きながら聞いてくる母さんに、ナツキは「ううん、これから起こりそうなんだ!」と答えた。母の脳裏に「夜遊び」という言葉が一瞬掠めたが、夜遊び宣言をして夜遊びに行く子はいないと思って(そもそもそんなことさせる気は無いが)、「ほどほどにして、早く寝なさい。明日も学校なんだから」と言い、最後におやすみ、と付け足して出て行った。「ほどほど」の主語は、テレビゲームでもあり、いわゆる母にとってのナツキの「妄想」であった。
ナツキの寝つきは驚くほどにいい。たとえ脳が興奮状態にあったとしても、ひとたび布団をかぶって目を閉じれば5分もすれば眠りにつく。普段通りに始まった一日は、普段通りに終わろうとしていた。ナツキはしぶしぶながらも、もう三日もあれば満ちるであろう月の光をカーテンで遮り、普段通りの時間、11時過ぎに眠りに着いた。
コンコン。
ナツキの部屋のガラス戸。カーテン越しに叩く音。
コンコン。
ここは2階。カーテンに浮かぶ誰かのシルエット。
コンコンコン。
ナツキはがば、と飛び起きた。幼稚園の頃から使っているピカチュウの目覚まし時計は、しっぽの形をした針についている夜光塗料から測るに11時55分を差している。やっぱりだ!心臓がどっくんどっくんと音を立てる。解ってたのに緊張しているみたいだ。カーテンに映る影ははためいている。音はしないが、上下の揺れで分かる。でも…鳥ではない!
そっとカーテンを開く。母さん達を起こしてはいけないからと電気を消しているのに、心臓の音だけでバレてしまうような気がする。そして、半分ぐらい開いたとき、窓の外の影と、目が合った。
相手はヘラッ、と笑い、ナツキに向かって手を振る。ナツキは思わず手を振り返す。何だか嬉しくてのぼせてるような気がする。大きな腕。対の翼。角。あとは・・・触角っていうのかな?
何か起きる、とはまさにこの事か!
向かい合っている相手は。
ドラゴンポケモン・カイリュー。
…雑誌で見るよりも大きい!
鍵を外し、窓を空かす。ひんやりとした風が吹き込んでも、ナツキは冷めることなく。
「こ、こここ・・・こんばンは!」初めて挨拶で声が裏返った。
「こんばんは~」
ご丁寧に礼。ナツキも慌てて返礼。
「ナツキ君、って、君?」
「は、はい!僕がナツキです!」
体格のわりに口調は子どもっぽい気がする。でもナツキは殆ど気にならない。初めてカイリュー実物に会った、しかも逢いにきてくれたみたい、という興奮で叫びたくなっている。でもここは住宅街。家族だけでなくご近所さんまで起こせばそれこそ大騒ぎだ。カイリューもすごく静かに(さすがに音は消せないみたいだ)飛んでいるので、そこに早々に気付いて、ナツキは比較的自分をセーブできている。
「この家のナツキって人が、僕らと話ができるって噂で聞いてきたんだけど、君の事で合ってる?」
「えと…、そう、そうです!」
「だよね~、今話せてるもんね~」
のほほんとカイリューが笑う。ナツキふたり分は確実にある背丈で、どうしても圧倒されてしまいそうなところはある筈だが、カイリューからの威圧感は無い。はじめましてなのに、親近感が漂っている。ただ、これは後で気づいたこと。ナツキは何を聞こうかとか、質問の模索と興奮で頭がいっぱいになっているのだから。
「あの…」
「はい、どうぞ」
何だか受け答えは病院のベテラン先生みたいだ。
「何で、僕のところに来てくれたんですか?」
「いきなり本題に入るんだね~」
「ま、マズいですか?」
「いや、まったく。あ、でも、敬語やめてくれるかな~?君よりそんなに長く生きてる自覚、無いんだけど」
屈託の無い笑顔。ずっと抱いている親近感はこれの所為だ。
ナツキがゴメン、と謝ると、カイリューは「いいよいいよ」と手を振った。
「それで、今日来たのはコレでなんだけど」
そう言って、カイリューはずっと下げていた左手をナツキの顔の前で開いた。手の平には、モンスターボールがひとつ。ただ、いくつも擦ったような傷があり、ところどころ泥がこびりついている。
「…え?どうしたの?」
「コレ?山で拾ったんだ~」
そうではなくて。
ナツキの怪訝そうな顔を尻目に、カイリューはびっくりするようなことを口にした。
「ボクをさぁ、捕まえてほしいんだ」
「…はい?」
「正確には、世間的にボクのトレーナー扱いになってほしいの」
正確に言われた方がより解り辛いのですが。
そもそも捕まえてほしいなんて言ってくるポケモンなんて見たことない。逃げたいと願っていたヤツは見たことがあるけど。でもいきなり9歳でカイリューのトレーナーになれるってすごくないか!?しかもあちらから頼んでくるなんて!…待てよ、でもトレーナー「扱い」って付け足したぞ。それってどういうことだ?未熟さとか、そういうものを図って、将来的に真のトレーナーとして見てくれるとかか?それこそ漫画みたいで、楽しみでもあるけど、僕はまだ小学生で、いきなりそんな世界を救う旅だなんて…
「…どうやら大分混乱させてるみたいだね」
カイリューが吐いたため息が前髪を揺らして、ナツキは我に返った。
「ボクさぁ、順を追って物事を説明するの苦手なんだよね~。いきなり話が飛躍してもわかんないよね~」
実はナツキ自身も随分飛躍していたが、カイリューはひとり言のようにもぞもぞと言うので、若干頬を赤らめるナツキに気付いていなかった。
「ナツキ君、眠くない?」
「え?うん、大丈夫」
そんなものとうの昔に吹き飛んだ。
「じゃあ、もうすこしちゃんとお願いを聞いてもらうね」
「あ、待って」
そう言って、ナツキは部屋の入り口の鍵をして、夏用の薄い布団や母が持ってきた体操服をごちゃ混ぜにまとめて掛け布団の下に詰めた。そして、暖かくなるようにパーカーを着ながら言った。
「ウチからそう遠くないところに、夜になると誰もいない広場があるんだ。そこで話そうよ」
カイリューはさすがに16時間超飛び続けられる(と図鑑にある)だけあり、全く疲れていないようだけれど、自分だって朝礼で5分もじっと立っていられないし、そもそもあまりここでカイリューが浮かんでいたら、誰に見られるとも解らない。自身も落ち着いて話を聞いてみたいので、取り敢えず場所を変えようと思ったのだ。その意図を汲み取ってか知らずか、カイリューは素直に応じてくれた。
「はぁ、はぁ、はぁ……は、ハハハハっ!」
「楽しそうだったね~」
「そりゃあ楽しいに決まってるじゃん!飛行機にも乗ったこと無いんだから!」
ナツキは草むらに寝転がって、体をぐーんと伸ばした。
「じゃあ、帰りにはもう少し長く飛んであげるね」
カイリューの背中に乗せてもらって広場まで来るわずか数分、ナツキは緊張で体をこわばらせ、声も上げられなかった。真っ暗な街は怖いし、落とされないかも怖いし、夜中に家を出たことが母さんに知られるのも、カイリューが誰かにばれて騒ぎになるのも怖かった。でも、地面に足が付いた途端、全ての懸念は無駄に終わり、その分喜びがバネのようにナツキの感情を突き動かしたのである。
どうしようもなく沸き起こる笑みを押さえながら(だって締まりが無いもの)、ナツキは改めて横にゆっくりと腰掛けたカイリューに問いかけた。
「それで、カイリューはどうして僕に『仮の』トレーナーになってほしいの?」
「それは、今のナツキの感情に似ているね~」
カイリューはナツキを君付けで呼ぶことを止めていた。
「僕の感情?」
「ボクはさぁ、進化してカイリューになれるまで、ずーっと世界中を飛び回ってみたいと思ってたんだ。多分、産まれた時からずっと」
「ハクリューの時でも飛べるんじゃないの?」
「スピードだよ、スピード。ボクより先に産まれたオトナのみんなとは全然違うんだ」
「へぇ~」
「ナツキはさ、さっき空を飛んだ時、楽しかったでしょ?」
「うん、めちゃめちゃ!」
飛んで来た時の感覚を思い出し、ナツキはまた少しそわそわした。
「そう。そんな風に、ボクも自由に、楽しく飛びまわっていたいんだ。今までずっと出来なかった分、思いっきり!」
普段の間延びした感のある語調は鳴りを潜め、カイリューは実に生き生きと語っている。その感情を受け、ナツキは共感を示して何度もうなずく。我慢していたものから開放される嬉しさは、例えどんなに些細なことでも気持ちがいいものだ。ただ、ナツキにはまだ分かっていない事がある。
「それで、何で僕がカイリューを捕まえるの?自由になりたいなら、尚更トレーナーなんて要らないんじゃない?」
「『ヒトのものを取ったらドロボウ!』って言うでしょ?」
低学年の道徳の時間に出てきたフレーズ。そうでなくてもよく聞く、有り触れた一言だ。何でそれをポケモンのカイリューが知ってるのかは置いといて。
「自由に旅しているのに、いきなり人間と出くわして、攻撃されて、しつこく追いかけられて、その結果捕まったら一巻の終わりじゃない。お先真っ暗だ!」
カイリューは初めて見せる嫌そうな顔でかぶりを振った。
「だからナツキに、…まぁ攻撃されるのは百歩譲って仕方無いとして、他のヒトに捕まえられないように、トレーナーになっておいてほしいんだ」
ようやくナツキにも話が見えてきた。つまり、カイリューが『ヒトのもの』(ここではナツキのもの)になることによって、他のヒトのものになることを防ごうという訳か。その願いを聞いてもらうために、今夜自分のところを訪ねてきたのだ。
ただ、残念なお知らせがある。ナツキは自分が持っている知識を、出来るだけカイリューに伝えようと思った。
「…無理があるね」
「えっ!?」
「一度捕まえれば、確かに君は僕のポケモン、ということになるよ。だけど、それから何日も何日も離れた場合、君は『逃がされた』という風に取られちゃうんだ。僕とカイリューの間に関係があっても、他の人は知らない。野生かそうじゃないかなんて、判り様がないんだ」
カイリューが目に見えてしょげる。触角(?)やしっぽが下を向いて垂れる。
「僕は他人のポケモンを捕まえようとしたことがないから分からないけど、知る限りでは君を捕まえようと投げられたボールから君を守るのは、君のすぐ傍にいるトレーナーだ。もし僕がトレーナーだったとしても、離れてたら守りようが無いよ」
どんどんとカイリューが落ち込んでいく。その様子を見ていると可哀想で仕方ない。だけどもう一つ、大切なことを伝えておかないといけない。
「それにもっとタチの悪いのがいる。密猟者だ。そいつらは誰のポケモンであろうが関係ない。野生でも何でも、欲しい物は何でも力づくで奪っていくんだ。それこそボールを使うなんて限らない。ネットかもしれないし、危ない道具かもしれない。だから……」
そこまで言って気付いた。カイリューが泣きそうになっている。
もう少し柔らかい言い方があったかもしれないが、小学校中学年のナツキは婉曲話法など習っていない。ナツキは焦り、同じぐらい悲しくなってきた。
「…だから!気をつけて、っていうことだよ!…そんなに密猟者が世界に溢れてるわけじゃないし、そもそも悪い人間ばっかりじゃない…と僕は思うし、カイリューは強そうだし、きっと大丈夫だと思うよ!」
必死にフォローする。そりゃあ希望に満ち溢れている相手にずばずばと現実を突きつけるのは酷以外の何者でもないが、当人にとっては現実をいきなり体感する方が辛いのだ。
そのフォローが効いたのか、カイリューは一度鼻をすすってナツキの目を見た。大きなきらきらの目の淵には、零れ落ちそうな涙の塊が乗っている。その表情が、何だか見ていられない。
「ね?旅そのものを諦めたりしないで!…とりあえず涙拭きなよ」
そういいながらパーカーのポケットを探ると、ハンカチ代わりに入れていた緑色のバンダナに触れた。実は結構前から入れっぱなしの使いっぱなしで、くしゃくしゃになっているけどここは仕方がない。カイリューに手渡すと、すぐに目じりを拭いてくれた。
「…ナツキは優しいんだね」
バンダナを返しながら、カイリューは弱々しくはあるが笑顔を見せてくれた。
「あ!!」
バンダナを受け取ろうとしたその時、急にナツキは声を上げた。カイリューがビクッ!とした。
「…どうしたの?」
「コレだよ、バンダナ!野生のポケモンかどうか判別するなら、目印をつけておけばいいんだ!そうすれば何処かにトレーナーがいるポケモンだって気付かせることができる!」
そう言ってナツキはバンダナを受け取り、カイリューに左腕を出すように告げる。
「コレ、ボクがしてていいの?…というか、密猟者とかには意味無いんじゃ…」
半ば渋るようにゆっくり出されたカイリューの腕をつかみ、ナツキはバンダナを当てる。
「そこは考え様なんだって!これはカイリューが嫌な思いをする機会(こと)を減らして、楽しく旅をするためのお守り。あとは君次第、ってことになるけどね。バンダナも気にしなくていいよ。こんなのどこにでも売ってるし、母さんに聞かれたら失くしたとか言えば平気だからさ……うん、いいじゃない!」
カイリューの腕に巻かれた緑のバンダナ。少々尺が足りなくて結び目はぎりぎりだが、きちんと留まっている。
「…へへ。じゃあありがたく受け取るね」
「落とさないでよ!」
子どものように無邪気に頬を赤らめるカイリュー。その顔を見ていると、ナツキもつられて心底嬉しくなった。
これでとりあえずは一件落着だ。
「もうすぐにどこかに出かけるんだ?」
「そうだね~、ボク眠ってられない気分になってるからね~」
「…言っとくけど、ちゃんと僕を家まで連れて帰ってからにしてよね」
ナツキは正直少し寂しくなっていた。あまりにも唐突すぎる出会いと、お別れ。夢みたいで、でもその夢が覚めるみたいで、夜風もちょっと冷たい。
「もちろんだよ~、帰るまでにまた少し長めに飛んであげるから、お礼にね」
カイリューがまた笑いながら答える。
お礼か。そんなつもりじゃないよ。ナツキがそう言いかけたとき、カイリューは自分が拾ってきたドロつきのモンスターボールを差し出した。
「…くれるの?」
「…やっぱりナツキに、ボクのトレーナー「扱い」にもなってほしいんだ」
「え!?」
「これはお礼じゃないんだけど、君に出会えてよかったっていう気持ちは解ってほしいんだ。いつかまた会えるように、これをずっと持っていてほしい。友達の証として」
「…」
ナツキには少しためらいがある。寂しさのような、また何か違うような。
「友達だから、トレーナー「扱い」っていうの!」
そう言ってカイリューはモンスターボールをナツキの眼前にぐっと近づける。その顔を見上げると、今日見た中で一番の笑顔をしていた。すごく真っ直ぐで、見ている人も幸せになれそうな笑顔。
その表情に誘われるように、背中を押されるようにナツキはボールを手にした。一応小学校でもポケモンの捕まえ方や出し方は模擬実習でしたことはあるが、その感覚とは全く違うと思った。
こびりついた泥を少しぬぐう。固まってしまっているから後で濡れタオルで拭いてみよう。傷は消えなそうな気がするけど。
「…うん、じゃあ行くよ!」
ナツキも笑顔でカイリューに向き合う。
「うわ~初めてボールに入る~」
「僕だって緊張してるよ。かる~く投げるからね」
「おっけ~」
心臓がどくんどくんしている。ナツキは何でこんなに緊張しているのか解らないが、緊張しない理由も無いような気がしている。
生ツバを飲み込み、深く息を吐いてから、下手投げでふわっ、とボールを投げる。ボールはカイリューの胸に当たると一瞬閃光を撒き散らし、すぐに夜に溶け込んだ。
ボールを拾いあげると、中のカイリューと大きな目が合った。表情は良く分からない。
ほんの一瞬、ある思考が脳裏を掠めたけど、カイリューが楽しそうに空を書ける姿を思い浮かべたらすぐに立ち消えた。
「一回言ってみたいことがあるんだ」
ボールの中のカイリューにそう話しかけ、ナツキはボールを握り直す。すうっと息を吸って。
「行っけー、カイリューーーー!!!!」
思いっきりボールを投げると同時、同じ閃光を放ちながらカイリューが目の前に現れた。
「言ってみたかったことって、ソレ?」
「…そうだよ、何かカッコイイんだもん!」
ナツキはテレビで見るような行動を一度取ってみたかったわけで。9歳という微妙な年齢からくる恥ずかしさと、何だか生意気な感じがするフレーズを言ってしまった事への焦燥を隠すことなく曝け出していた。カイリューもナツキの心理を正確に理解できたかは定かではないが、少しからかうような顔をしていた。そんなふたりが目を合わせると、どちらともなく吹き出してしまった。
それから約束どおりのしばしの空中遊泳の後、カイリューはナツキを部屋まで送り届けた。
「じゃあ、僕も失くさないようにこのボールをずっと持ってるから、きっとまた会おうね」
「ボクもコレ、ずっとつけておくよ~」
腕をつき出し、カイリューが笑う。ナツキも負けじと笑い返す。笑顔で、それ以外の感情をすべて隠しながら。
最後に、ふたりは握手をした。カイリューの手は大きいので、爪を握る。はためいて体が揺れていても、しっかりと腕をふる。
「それじゃあ、行くよ!」
バサッ、と、一陣の風を巻き起こし、カイリューは舞い上がった。
ナツキは窓から身を乗り出して、カイリューの姿を追った。ぐんぐん小さくなる姿。
「……またねー!!」
さっきまでは近所や家族を気にしていたが、堪えきれなくなって夜空に向かって叫び、大きく手を振った。
カイリューは2度ほど空を旋回し、月の出ている方角へ飛び去って見えなくなった。
「また…」
小さく呟き、ナツキはいつまでも月を眺めていた。
目覚まし時計で目が覚めた。カーテンの隙間の光で朝を感じた。
起きた瞬間、全ては夢を見ていたのだと思っていた。鮮やかに楽しく、でも何故か寂しい夢。でも、手の中に古びたモンスターボールを抱えている感触が分かると、ナツキは布団の中でうずくまり、声を殺して笑った。しばらくすると、母さんが「もう起きなさい」、と言いながら部屋に入ってくる。布団から少し顔を出すと、母さんが開けたカーテンから、眩しい光が飛び込んでくる。
「昨日、寝言で叫んでたわよ。『また会おうねー』とかなんとか」
やれやれ、という感じで息をつき、母さんはチアキを起こしに出て行った。
母さんも証人だ。やっぱり夢なんかじゃなかった!
ナツキは布団を蹴り上げ、思い切り伸びをした。
「よーし!」
一言気合をいれ、母さんを追い抜いて階段を駆け下りた。
何でも頑張れる気がした。
だって、『またね』のための一歩目は、もう始まっているのだから!
◆実は続きはありますが、それはまたいつか。
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